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暮れも押し迫った12月21日水曜日、
旧知の建築家金子満氏を偲ぶ会が、 彼自身が設計した「八雲スタジオ」で催された。 その数日前、いきなり届いたファックスの訃報に僕は愕然とした。 12月初旬、心不全・肺炎で逝去された金子さんは、 享年69歳とまだ若すぎる旅立ちであった。 会場は金子さんのデザインによるトラヴァーチンを張り巡らせた空間に、 エヴァ・ジリクナ風のスティール&ガラスの階段がポイントとなっている豪華スペース。 彼得意のスケッチが多数テーブルに展示され、 ビデオで彼の作品が紹介されていた。 金子さんが設計した名作「八雲スタジオ」 スティール&ガラスの階段がある会場(左) 金子さんの達者なスケッチ(右) 思えば金子さんとはたくさんの想い出がある。 丁度今から30年前の1981年、 僕が初めて新建築のアメリカ建築ツアーに参加したとき、 金子さんはルイス・カーン好きで参加された。 団長は宮脇檀さんで、15日間という大変長い旅だった。 ライトの「落水荘」からミースの「クラウン・ホール」、 カーンの「エクセター・アカデミー図書館」「キンベル美術館」 「ソーク生物学研究所」、コルビュジエの「カーペンター・センター」など、 巨匠の作品から現代建築まで盛り沢山のツアーだった。 その旅行で、金子さん、四国から来た真鍋さん、 僕の3人がいつもつるんでいた。 帰国後は彼の事務所、弾設計でスライド会をやったり、 近くのバー「ブスハウス」でよく飲んだりした。 旅の途中で撮ったサングラスの金子さん(左) エクセター図書館の大吹抜け空間(右) 金子さん好みのトラヴァーチンを敷き詰めた「ソーク」の中庭 金子さんは1967年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業。 圓堂建築事務所、黒川雅之建築設計事務所を経て、 弾設計を仲間と設立。 以来40年近く同社を主宰。 代表作にアルド・ロッシ、内田繁夫妻と協働した 福岡の有名な「イル・パラッツオ」をはじめ、 ザハ・ハディドの日本デビュー作 「ムーンスーン」が入った札幌の「北倶楽部」、 ナイジェル・コーツの協働した「ノアの方舟」(札幌)、 「ザ・ウォール」(西麻布)など、主に商業施設に素晴らしい作品を残した。 川越しに見た「イル・パラッツオ」。左手の高いホテルも彼の作品(左) 「ノアの方舟」(右) 「ザ・ウォール」(左) 会場の地下にあるバー「雪」で、設計者の水谷壮介さん(左)、僕、建築家の林寛治さん(右) その彼の商業施設が、わが吉祥寺にもあるのだ。 12月初旬(日付けは定かでないが、僕は日曜も出勤日)の朝の通勤時、 僕は吉祥寺ヨドバシカメラにより、 普段通らないヨドバシの横の路地に何となく入った。 すると右側に、ずっと昔彼が案内してくれた 「白耳義館(ベルギーかん)」があるではないか。 「ああ金子さん久し振りですね!」などと思いながら会社へ。 15日に来た訃報のファックスで、 4日(日)に彼が亡くなったことを知った僕は、その偶然に驚いた! 僕を彼の死亡日と近い12月初旬に路地に引き込んだものは何か。 金子さんは病床から暗に、 「淵上、俺はいくぞ!」と電波を送っていたのではないか。 レンガ造りでがっしりした「白耳義館」の外観(左) 半階分スキップアップしたポーチをエレベーターホールから見る(右) 偲ぶ会で聞いたところによると、 呼吸困難になり救急車で運ばれた時、彼は奥様に言ったそうだ。 「タバコを一服させてくれ!呼吸が楽になるかもしれないから!」 彼らしいユーモアに満ちたセリフを残して、 金子さんは人生の幕を閉じてしまった。 サングラスを好み飄々としていた金子さん、 いつまでも安らかに!合掌。 手で挨拶する写真の金子さん photos & text : Masayuki Fuchigami / Synectics inc. (クリックすると写真が大きくなります)
by archieditor
| 2011-12-27 09:56
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