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師走の初日12月1日(土)の晴れ上がった午後、 僕は北鎌倉の円覚寺へ行った。 湘南遊座主催の第2回「復興の職人」シンポジウム見るためだった。 鎌倉五山の名刹円覚寺は、少年時代の僕たちの遊び場だった。 久し振りに実家に帰るついでもあったが、 何よりもそのシンポジウムの豪華なメンバーに惹かれたからだった。 錦秋の紅葉に覆われた山門は、土曜日ゆえの観光客で賑わっていた。 広い境内は幾分静かだが、やはり観光客が群れる色鮮やかな紅葉の参道を、 僕は会場の佛日庵へと向かった。 紅葉に見舞われた円覚寺山門の観光客(左) 紅葉の参道(右) 佛日庵の外観(左) イベントの案内板(右) 東日本大震災の復興支援チャリティー 企画で、 市民ボランティアによる映画祭となるこのイベントは、 湘南遊映座を主宰する写真家の岡博大氏が昨年から展開しているもので、 岡氏は、以前から隈研吾氏の映画を撮り続けており、 その予告編も上演予定だった。 会場の佛日庵は畳敷きの前座と後方のベンチに分かれていたので、 僕はベンチの最前列の中央に陣取った。 第1部は建築家の隈研吾氏のトーク・セッションで、 ゲストにヴィジュアリストの手塚眞氏と 東京工業大学世界文明センター長のロジャー・パルバース氏が登場。 進行はこの企画の主宰者、岡博大氏が担当した。 会場の出演者。左より隈研吾、岡博大、手塚眞、パルバースの各氏 隈さんは復興支援ということから、自分と東北との関わりから話をスタート。 当初東京で活躍した隈さんは、バブルが弾けて東京での仕事がなくなり地方に行った。 それは東北や四国であった。 東北で初めてつくったのが宮城県登米町の「森舞台」という能舞台だったが、 予算がないので建物の中に作ったのではなく野ざらしだった。 ただ東北には襞のように谷が走っており、この襞に寄り添うように、 その地域の固有性を生かして「森舞台」を設計した。 ”襞”をキーワードにし、宮城県から南下しつつ「川/フィルター」(福島県)、 「水の洞窟」(宮城県)、「高柳町陽の楽屋」(新潟県)、 「那須歴史探訪館」(栃木県)、「石の美術館」(栃木県)、 そして「馬頭町広重美術館」(栃木県)を設計した時、 隈さんは自分が言う”東北的手法”をつかんだようだ。 隈さんがその後東京へリターンし、国際舞台へと進出して行ったのは、 東北での体験がベースになっていたという。 トークする隈さん(左) 「森舞台」の映画シーン(右) 手塚さんは「雄勝町法印神楽」の映画を披露してくれた。 かなりの被害を受けた雄勝町では、 災害の中でも祭りは重要であることから、この映画を撮ったという。 神を山の上から呼んで感謝するここの神楽は、本物の赤ん坊を使い、 チャンバラあり、大見得を切るシーンなどがあって、 普通の退屈な神楽とは全く違うことを教えてくれた。 神楽は雄勝町の人々の心の支えであり、町民を元気付けているという。 ロジャー・パルバースさんは日本人の心をよく理解している外国人。 最初に見せてくれた「花は咲く」の合唱シーンは、 涙が出るほど美しい旋律と画面で感動的だった。 彼は宮沢賢治のオーソリティー。 「東北は日本人のスコットランド」という彼は、 その卓越した知識から賢治の「よく聞きし見る」(?)を引用。 日本人はこれを実践すべきだと説く。 最後に海外の認知症の映画を上映。 認知症の主人公が回復していくユーモラスな過程が、 東北の人々のみならず僕たちも元気付けられる素晴らしい映画をだった。 映像が顔に映った手塚眞さん(左) 法印神楽の映画シーン(右) 長身で渋いロジャー・パルバースさん(左) 第1部が終わって歓談する隈さんやパルバースさんたち(右) 第2部は宇崎竜童氏の独演会。 僕は彼がヤクザっぽくて怖そうに見えるので、以前から好きでなかった。 それで隈さんの1部が終ったら帰ろうと思っていた。 すると終わった隈さんが客席の方に来たので、四方山話をした。 前日シュトゥットガルトから帰国して忙しいはずの隈さんが、 宇崎竜童の演奏を聞くというので僕も残った。 これは正解だった! 宇崎さんは開口一番、 「今日隈さんたちの話を聞いた人たちが、 僕の演奏を聞くんですね!イヤダナー!」(爆笑)。 「畳敷きの佛日庵でやるんで、そこの横に鎮座している仏像さんに、 今日ここでギターでガンガン歌っていいですかと聞いたが、 全然返事してくれません!じゃやっちゃいましょう!」(爆笑)。 ファースト・ナンバーはデビュー作「知らず知らずのうちに」。 ヤクザな割には丁寧な言葉で笑わせる。 歌もギターもうまく抜群の迫力! 原田芳雄と仲良かった彼は、原田の死にまつわる話で会場をホロリとさせた。 その後すぐ原田が好きだった「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」で追悼。 中盤ではコール&レスポンスで、会場に手拍子をさせたり、 ショート・フレーズを歌わせたりと、聴衆の僕達も忙しかった! 達者なトークと演奏で会場を巻き込み1時間を軽くオーバーするサービス。 ラスト・ナンバーは、山口百恵がリタイアした時に彼が作った「さよならの裏側」。 終わって隈さんがやってきた。 「淵上さん、宇崎ってすごいね! こんな狭くて少人数のところでもやってくれるなんて!」。 僕も確かにそう思った、と同時に 音楽がもつ圧倒的なパワーをつくづくと感じさせられた体験だった。 ヤクザと思っていたが意外と優しげな表情を見せる宇崎竜童さん(左) 後半は上着を脱いで熱演!この日で僕は彼が好きになった!(右) 佛日庵を後にしたのは7時前くらいだった。 日はとっぷりと暮れ、円覚寺の参道はわずかな街灯だけでほとんど暗闇。 北鎌倉駅はひと気がなく、駅前の有名な「山本」に寄って 蕎麦で一杯いこうと思ったが、もう閉まっている。 田舎駅だからしょうがない。 それで駅前通りの小料理屋「ささや」を思い出し通りに出て見ると 、ちょっと先に赤提灯がおいでおいでをしているではないか! 確か40数年ぶりだ。あの頃の美人のママさんはいるのか。 それは無理だろうと思いつつガラリと開けると、全然違うおばさん! 客はなし。 ひとりで熱燗、焼酎ホットで体を温めてから、 無口そうなおばさんにポツリポツリと昔話を仕掛けてみた。 すると、「そのママさんは5~6年でやめ、 その後はずっと私たちがやってきましたが、 主人も他界したのでこの20日で閉じます」。.......そうだったのか。 40数年前の記憶と目の前の現実が交錯して、 僕は淋しい気持ちで「ささや」を後にした。 満月に近い明るい月が、 ひと気の絶えた北鎌倉駅のプラットフォームを冷たく照らしていた。 赤提灯の「ささや」が僕を呼んでいた(左) 人気のない北鎌倉駅の上に月が出た(右) 写真をクリックすると大きくなります。 Photos&text : Masayuki Fuchigami / Synectics inc.
by archieditor
| 2012-12-10 10:31
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