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8月9日から16日までアルヴァ・アアルト建築ツアーを決行した。 アルヴァ・アアルトは遠い存在という印象がしていた。 彼は北欧という遠い北国をメインに活躍したし、 残念なことに日本に作品がない。 さらに彼は「建てるだけで書かない数少ない建築家」として有名だ。 つまり自著はほとんどない。 アアルトはコルビュジエなどとは全くの対極にあって、 自己宣伝的な活動はほとんどしない。 それで僕にとっては神話的な存在に思えていた。 こちらから出向いてじっくりと見学する必要があると感じていた。 という訳でお盆に体験した夏の美しい森と湖のフィンランド・アアルト紀行を紹介します。 「ムーラッツァロの夏の別荘」の前に展開する美しいパイヤンネ湖 今回のツアーは、アアルトを徹底的に見学するというコンセプトで企画し、 32~3件の作品が対象となった。だが実際に出掛けてみると、 次々と知られざるアアルト作品に遭遇し、数が増えてしまった。 最終的にはアアルト作品だけで54件も見る羽目になった。 これは僕が企画した建築ツアーでは断トツ。 ひとりの建築家の作品を1回のツアーでこれだけ見られるケースはまずない。 アアルトが活躍したフィンランドの都市は沢山あるが、 ヘルシンキ、ユバスキュラ、セイナッツァロ、セイナヨキ、アラヤルヴィ、 ロバニエミ(今回割愛)、ノールマック、トゥルク、エスポー、ラハティ、イマトラなど。 今回最初に行ったのがユバスキュラで、ここには彼の新古典主義デザインの 「ユバスキュラ労働者会館」「ユバスキュラ自衛団ビル」があり、 他にも「ムーラメの教会」「セイナヨキの自衛団ビル」などがあった。 「ユバスキュラ労働者会館」の1階のカフェで地ビールを飲んだ(左) 「ユバスキュラ自衛団ビル」は改修工事中(右) クラッシックなイメージの「ムーラメの教会」(左) 初期のアアルト作品「セイナヨキの自衛団ビル」(右) アアルト作品をを時系列的に分類すると、 この第1期のネオクラシシズムの後にモダニズムへの過渡的な第2期の作品がくる。 それらが「トゥルン・サノマト新聞社」「パイミオのサナトリウム」 そして「ヴィープリ図書館」(今回見学できず)だ。 「トゥルン」はエントランス・ロビーしか入れなかったが、 「パイミオ」は内部もバッチリ見学でき素晴らしかった。 食堂に天井ヒーティングがあるのには驚いた。 モダニスト的シンプルな「トゥルン・サノマト新聞社」(左) そのエントランス・ロビー。壁面の写真は有名なかつての工場内部(右) 「パイミオのサナトリウム」のアプローチは手前に向けて末広がりで人を吸い込む(左) 素晴らしい眺めの最上階のテラス(右) これ以降アアルトはモダニストの仲間入りをし、 第3期のインターナショナル・スタイルの作品を設計していくが、 コルビュジエのように黄金比や直角三角形をファサードに用いる 幾何学的抽象とは違っていた。 アアルトはフィンランドの大地や生活に根ざした モダニストとしての有機的抽象へと向かう。 僕は今回のツアーで気が付いたが、 アアルトは傾斜地の敷地が多いことや、 中庭をつくって生活や街の活動に利用することが多いことに気付いた。 「セイナッツァロのタウンホール」「ムーラッツァロの夏の別荘」「アアルト・アトリエ」 「アアルト自邸」「セイナヨキ・タウンホール」「マイレア邸」など。 アアルトはランドスケープ・アーキテクトともいえるくらい 敷地のランドスケープ・デザインが達者だ! 中庭を中心に展開する「セイナッツァロのタウンホール」(左) こんな別荘でひと夏を過ごしてみたい「ムーラッツァロの夏の別荘」(右) 傾斜した緑の中庭空間はスタッフが合唱したり映像鑑賞もできる「アアルト・アトリエ」(左) 中庭との取り合いが素晴らしい「アアルト自邸」 「セイナヨキ・タウンホール」の地域活動に貢献する芝生の中庭的斜面(左) やはり外部空間の豊饒さが圧巻の「マイレア邸」(右) また有機的な内部構成を旨とするアアルトにとって、 建物の機能がそのまま外観に表現されるケースは多い。 そのため教会などはどれひとつとしてシンメトリックなプランはない。 「ラハティの教会」「セイナヨキの教会」「ヴォクゼニスカの教会」「文化の家」 「フィンランディア・ホール」「フィンランド工科大学本館」など、 アアルト建築の外観が非常に複雑な形態をしている所以である。 E.サーリネンの「ラハティ市役所」のタワーに対峙する「ラハティの教会」の鐘楼(左) 「セイナヨキの教会」の鐘楼はこの街のランドマークだ(右) 内部の巨大な可動仕切り壁をもつ機能的な「ヴォクゼニスカの教会」(左) 客席後部の一部が変形したプランの「文化の家」(右) アアルト建築における美形の大作「フィンランディア・ホール」(左) 内部が非対称になっている「フィンランド工科大学本館」(右) 今回はアアルト作品がズバ抜けて多かったが、 他の建築家の作品も15件ほど見学した。 有名な「キアズマ(ヘルシンキ現代美術館)」「テンペリアウキオ教会」 「オタニエミの礼拝堂」「セイナヨキの私立図書館増築」「カンピ静寂の礼拝堂」 「ヘルシンキ・カテドラル」「ヘルシンキ駅」「シベリウス公園」「カフェ・ウルスラ」など。 スティーヴン・ホールの「キアズマ(ヘルシンキ現代美術館)」のエントランス(左) スオマライネン兄弟の「テンペリアウキオ教会」は岩盤の中の教会(右) カイヤ&ヘイッキ・シレンの美しい「オタニエミの礼拝堂」(左) K2S設計事務所の「カンピ礼拝堂」は全て木造曲面壁の教会(右) その他「アアルト家の墓地」や「アアルトのお墓」も見学。 ヘルシンキの一夕、これはアアルトの作品ではないが 「ソコス・ホテル・トルニ」のペントハウスにある「Ateljee Bar」に行った。 ここのバーの”アアルト・カクテル”は1杯7,000円! グラスはアアルトが湖を模したというグニャグニャ曲がった 有名なアアルト・ヴェイス(花瓶)なのだ。 それを帰りに箱に入れて持ち帰るという仕組み。 同じ物を翌日イッタラの店で買った人は、8,000円以上したそうだ! またアアルトがインテリアをデザインした有名な「レストラン・サヴォイ」は、 夜食事がてら見学する予定だったが、とんでもない! ガイドさん曰く、食事は最低1万円で3時間はかかるという。 そこで一計を案じて、昼間の空いている時に内部を見せてもらうよう ガイドさんに頼んでもらったらOK! ただここで食事したい人たちは、別途夜に豪華なディナーを楽しんだようだ。 「アアルト家の墓地」は美しい湖畔にあった(左) アアルト自身はアイノとエリッサ両夫人と共にヘルシンキ郊外に眠る(右) アアルト・ヴェイスに入った赤いアアルト・カクテル(左) 「レストラン・サヴォイ」の豪華なインテリア(右) 総じてフィンランドの人々は親日的で人が良く、 ことアアルトについては大変なサービスで、 僕たちの知らなかったアアルト作品を次々と教えてくれた。 それでアアルト作品54件、その他の作品15件の 計69件もの作品を見ることができた。 しかもかなり内部を見学できたのは異例のことだった。 因みにツアーの最後の晩餐時、定番の人気建築アンケートをとると、 1位が「マイレア邸」、2位が「セイナッツァロのタウンホール」, 3位が「ムーラッツァロの夏の別荘」と「パイミオのサナトリウム」だった。 かくしてアアルト巡礼の旅は終わり、 ミステリアスなその神話的存在は徐々に僕たちの前に開示されたのであった。 「マイレア邸」への道標 写真をクリックすると大きくなります。 Photos&text : Masayuki Fuchigami / Synectics inc.
by archieditor
| 2013-09-17 00:54
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